ありふれたセーラー服

中古市場にセーラー服が溢れているが、校名不明として売りに出されている制服を見ると、とても哀れに思える。

 

中古で売られているどんな制服も、かつては実在する女子生徒が実在する学校へ通っていたときに着用されたものだ。それぞれに歴史と思い出があるはず。しかし、そんなことは誰も気にすることなく、「校名不明のセーラー服」として取引されているのを見ると、とても悲しくなってくる。

中学校に入学してセーラー服というものを身近な存在として感じたころ、セーラー服の仕組みが知りたくてたまらなかった。ブレザーのように人前で脱がれることのないセーラー服は、謎の塊に見えた。姉妹がいる同級生が羨ましかった。せめて裏地の色だけでも確認しようと、袖先の隙間から僅かに垣間見える生地を必死に観察したものだ。

セーラー服がすっかり裏返しにされるなんてことは、女子生徒に所有されていたころにもほとんど無かっただろう。襟と身頃の縫い合わせを見ていると、その巧みな仕上げに芸術品だと思わせる。このつるつる裏地が女子生徒を優しく包んでいたのだと思うと、何とも言えないドキドキ感が湧き上がる。しかし、このセーラー服は二度と女子生徒に袖を通してもらえないのだという事実を思うと、別の意味でため息が漏れる。